空想独立国家

ブロックチェーンでdecentralizedな社会を実現したい。

21世紀の政治で問われるべきは「右か左か」ではなく「上か下か」である

time 2015/07/13

前回紹介した『ゲゼル研究』を読んでいて一番印象に残ったのが、「自由主義的社会主義」という言葉だ。自由主義と社会主義は対立するものじゃないの?と思っていた僕は当初違和感を持ったが、ゲゼルがマルクスを批判した論拠の1つとして、「集権主義的」であることを挙げていることで疑問が氷解した。自由主義と対立するのは集権主義であり、資本主義と対立するのは社会主義なのだと考えると、色々なことがすっきり整理できるのではないかと思う。どこかで既出とは思うが以下のようなマトリクスを作ってみた。プロットは適当なのであしからず。

●資本主義対社会主義、集権主義対自由主義

 

このように整理すると、様々なことが説明できる。例えば、「リベラル」という言葉だが、リベラルという言葉が良くわからないのは、左上=社民党的な人と右下=新自由主義的な人が使っていて用語として混乱しているからだと思う。本来、リベラリズムを直訳したのが自由主義であり両者は同一だと思うが、当ブログではあまりリベラルという言葉は使用せず、集権主義に対する意味では自由主義を使いたいと思う。「リベラル」を自任する人の中に、中央集権的な共産主義は確かに失敗したけれども、資本主義の強欲さにも乗れないなあと思っている人は結構いるのではないか。そういった人は今後の身の振り方として、あくまで左上に留まるか、左下を志向するのかを自問すると、立ち位置が整理できるだろう。中央集権やパターナリズムが大嫌いで、マトリクスでは下のほぼ中央で左と右に揺れている僕にとっては、政府や企業の責任ばかり求める自称リベラルの人たちは、自民党のおじさん方が言ってることの裏返しにしか聞こえず、有効なことを言っているようには思えない。

続いて、ベーシックインカム(以下BI)は、右か左かの対立ではなく、上か下かの対立と考えると合点がいく。「無条件で金を配ったら働かないやつが増えて経済が回らない」みたいなことを言う右の人もいれば、「金だけ渡して後は自由にというのは福祉の後退である。もっと政府が責任を持て」みたいなことを言う左の人もいて、BIは左右双方から攻撃の対象となっている。反対に、社会主義の文脈から肯定的に主張する人もいれば、自由な経済活動を阻害しない再配分政策として、新自由主義の代表格と言えるミルトン・フリードマンも負の所得税という形で肯定していたりもする。BIは個人の自由をめぐる対立なのである。それだけに、中央集権・官僚制と密接に結びついている国民国家においては、相当実現が難しい制度だと言えるだろう。

インターネットやブロックチェーンの技術は、分散的・分権的であり、下=自由主義と非常に相性が良い。20世紀が帝国主義対全体主義、資本主義対社会主義の対立の歴史であるとするなら、そのどれもが集権的な特徴を持っているため、集権主義こそが20世紀の時代を特徴付けるものだと理解できる。21世紀に入ってインターネットが本格的に社会に受け入れられるに伴い、分権的・自由主義的な社会設計に新たな可能性が開かれたのではないかと思っている。その意味で、21世紀の主要な対立は「右か左か」ではなく、「上か下か」がまず問われることになるだろう。

さらに言えば、インターネットの進化に伴い「下=自由主義」が旧来の集権的・パターナリズムを今後打ち破っていくと僕は思っているが、その後には右下か左下かという対立が問題としてクローズアップされてくるのではないかと予感している。現状、下=自由主義を代表するのが「グローバル資本主義」といった右下に位置付けられるべきものしか登場していないように見えるために、左を志向する人は何だか乗り切れないという感情を抱いているのではないか。そうすると、「左下=自由主義的社会主義」を左の人にとっての新たなフロンティアとして、その内実を考えていくことが、今後のグローバル化していく世界を考える上で重要な思想となっていくのではないかと思う。僕としては、ベーシックインカムで最低限の保障をした上で、なるべく自由な経済活動を認めた方が良いと考える立場なので、穏健な新自由主義者といった感じだろうか。ただ、新自由主義は批判の文脈の中でしか登場しないので、真・自由主義とでも名乗りたいところだが。

自由主義的社会主義の方向の1つとして、ゲゼルは「減価する貨幣」によって「利子による搾取=資本主義」を否定したが、それが本当に可能なのかを検討するのは意義のあることだと思う。減価する貨幣は過去にいくつか実験例があるみたいだが、貨幣を使用するのに毎回切手を貼らねばならないといった不便さがあり、現状では地域通貨の中でも普及しているアイディアとは言えない。そこで、新たな技術として暗号通貨が出てきたのであるから、減価する貨幣のアイディアを実装した暗号通貨が作れないかと思う。暗号通貨はコンピュータープログラムであるために、減価するといった人為的な操作を通貨に埋め込むことが自在にできる。成否は実際にやってみるしかないと思うが、プログラムできる通貨という暗号通貨の特性を活用し、様々な理論・アイディアを検証できるようにすることは社会にとって非常に有用なことだと思う。ハイエクの「貨幣発行自由化論」や、フリードマンの「Kパーセントルール(非裁量的金融政策)」なども暗号通貨で試してみることができるだろうと思う。暗号通貨は、デジタルであるために経済学の理論・統計的研究にも資するということはもっと注目されても良いのではないだろうか。

完全な思い付きだが、減価するということはインフレすることと等価であり、通貨価値を下げるのではなくてインフレ税(何の裏付けもなく貨幣を増加させる=結果的に減価する)を財源として、自動的にBIで再配分するプログラムを内蔵した暗号通貨が作れないものか。毎月一定量の通貨が自動的に発行され、すべての人に一定額が配られる。それによって通貨発行量が増えてインフレすると通貨価値が下がり、これは課税を経ずに一定率の財産税を課したのと同じことになる。実質的に減価することが分かっている通貨であるから、みんなが早く使おうとすることで景気を刺激するのは、ゲゼルの減価する貨幣と同じだ。普通に考えたらそのような通貨は誰も持ちたがらず、ハイパーインフレして終わりだと思うのでこのままでは難しいと思うが。自分の主要な関心事である暗号通貨とBIを結びつける可能性として、もっと探究してみたいテーマではある。

※通貨と貨幣の使い分けについて、暗号通貨の文脈では通貨を、減価する貨幣という文脈では貨幣を使ったけど、混同していたらすみません。通用している貨幣を通貨ということで、あまり意味の違いはないみたい。

(補足)

右か左かではなく、上か下かという考え方は、松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』にヒントを得た。上か下かという言い方ではなく、「転換X」という言い方だが、問題関心は松尾さんの本に学ぶところが大きい。ハイエクの思想の紹介では、政府は裁量的な政策を極力行うべきではなく、「前もって決まっている形式的ルール」を重視するのが自由主義というのは非常に腑に落ちた。55年体制の終焉が言われながらも、替わる対立軸を打ち出せていない日本政治の現状において、最も重要な視座だと思う。第6章「なぜベーシックインカムは左右を問わず賛否両論なのか」も非常に分かりやすく、BIに関心のある人は必読だと思う。

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