空想独立国家

ブロックチェーンでdecentralizedな社会を実現したい。

『フリー』のその先:評価経済によって出口としての収益化すら必要となくなる

time 2015/08/02

クリス・アンダーソンの『フリー』を今更ながらに読んだ。有名な本なので、内容はなんとなく知っていたこともあったが、「フリーミアム」というキーワードで知った気になってる以上に洞察に満ちた本だったので読んでよかったと思っている。話題になった本は知った気になるが、ちゃんと読んでみるとやはり色々と発見があって楽しい。

『フリー』の中で語られていることの一つに、稀少性に関する話しがある。社会学者・経営学者のハーバート・サイモンの言葉を引用して、「潤沢さは新たな稀少性を生み出す」ということを言っている。何が新しく潤沢になり、何がより稀少になるかを良く理解すると、時代の変化が読み取れるという。言うまでもなく、インターネットは情報を極めて潤沢にした。だからこそ、インターネットの世界では無料が標準となり、そこからいかにして収益を生み出すかが『フリー』で論じられている。音楽の世界が典型的なように、デジタル情報としての楽曲は売れなくなったが、フリーで楽曲が聞けることは宣伝と割り切り、ライブなどの体験で収益化を図るようになったという話しだ。情報(ビット)が潤沢になると時間・体験が新たな稀少性を持つようになった。この話しを進めていくと、評価経済の話になる。時間が有限である以上、何に注目を向けるかが最も稀少な財となるからだ。

評価経済がどのような社会であるかは、『フリー』の中でも紹介されているSF小説『マジック・キングダムで落ちぶれて』を読むと想像しやすくなると思う。未来の地球で不老不死(バックアップを取っておくイメージ)や無尽蔵のエネルギーを達成した人類は、宇宙空間を漂って遊んで暮らすような者もいるし、数百年後に生き返るまで意識体になって過ごそうという《デッドヘッド》をする者もいるが、多くは《アドホクラシー》というボランティア組織のようなものに所属して仕事をしている。主人公は、ディズニーワールドの運営をするアドホクラシーの1つに所属し、アトラクションの運営や改善の企画に従事している。そして、重要なことは、世界の経済は評判によって増減する《ウッフィー》という仮想通貨によって回っていることだ。人から支持されたり、評価されると、ウッフィーは自動的に上がり、逆の行動をするとウッフィーが下がる。何かを特別にしてもらうにはウッフィーを支払う必要があるものの、別にウッフィーを稼がなくても最低限の生活はできる。それはウッフィーの評価目当てに無料で食事等を提供する人はいくらでもいるからだ。この小説の面白いところは、不老不死を達成し、生活のために働く必要がなくなっても、それでも人は他者の評価を気にせずにはいられず、ウッフィーを獲得するために一生懸命働いているという点だ。技術の発展により、ビットだけではなくアトム(物質・エネルギー)が潤沢になったとしても、人同士の関係性だけは最後まで稀少なものとして残るという未来予測なわけだ。ウッフィーは電子的な貨幣の究極形態なのかもしれない。感情の動きや人の行動でダイレクトに増減し、評価・信用を数値化し可視化してしまう。現代のように、蓄えた評価をわざわざお金に替える必要すらないのだ。

話しはSF的な未来から少し先の未来に移るが、ベーシックインカムは評価経済への入り口となると思う。不老不死までいかなくても、最低限の生活が保障されるようになれば、あくせくお金を稼ごうとするインセンティブが低下し、お金の稀少性が減少すると思うからだ。代わりに評価の稀少性がより向上し、評価経済に移行する大きな原動力となる。お金が与えられれば人が働かなくなるというのは貨幣経済のパラダイムに毒され過ぎているし、人間に対する洞察が甘すぎると思う。情報だけでなく、食料などの生活必需品も既に潤沢となっており、さらにロボット化によって労働力が潤沢となるのだから、財の稀少性を元にした貨幣経済は移行期に差し掛かっているとみるべきだろう。

貨幣と評価の違う点は、評価は盗めないし、不当に蓄えるのは難しいということだ。評価を盗むというのは要するに外面を取り繕って人を騙すことだが、評価を得るには少なくとも表面的には良い人を演じなければならないから、それが続いている限り、内面は問題とならない。もし醜い内面を持っていたとして、それを露呈したら、その時には評価が一気に下がるだけであり、評価を失いたくなければ良い人を演じ続けざるを得ない。結局は良い人で居続けるのが進化的に正しい戦略となる。岡田斗司夫さんの言う「いい人戦略」というやつだ。そういった貨幣と評判の特性の違いから、より倫理的な経済が生まれるかもしれない。

もちろん、評価経済にも懸念はある。評価が張り巡らされると、常に周りの目を気にしなければならず、村社会に戻ってはしまわないだろうかという点だ。そのような社会に窮屈さを感じる人も出てくることは容易に予測される。対策としては、忘れられる権利等によって過去のあやまちや失敗から立ち直れることを保障したり、時には毒を吐く場所として匿名性を確保したりすることが必要となりそうだ。複数の人格をコントロールして評判の下落をリスクヘッジする「分人主義」といった考え方も必要となってくるかもしれない。

SF小説の多くはそうだが、『マジック・キングダム』でも、ウッフィー経済はバラ色のユートピアとしては描かれていない。評価を求め良いことをしようとしていても、人は派閥を作り、陰謀を巡らしたりして、そのドタバタがストーリーを駆動していく。評価経済もまた、ユートピアではないだろう。でも大半の人は良い人だし、飢える心配をしなくて良いし、好きなことに時間を使うことができる。今よりマシになるとは言えそうだ。

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