空想独立国家

ブロックチェーンでdecentralizedな社会を実現したい。

日本人は自由が嫌いなんじゃないだろうか 『21世紀の自由論』を読んで

time 2015/07/28

佐々木俊尚著『21世紀の自由論』を読んだ。僕が日本のリベラルに対して抱いていたもやもやした気持ちを見事に説明してくれている。曰く、日本のリベラルは反権力でしかないと。明快だ。55年体制の自民党を牽制しながら結局は体制を補完する社会党・共産党が共産主義の崩壊で無効になったため、新たにリベラルを名乗るようになったが、立場は何も変わっていないと考えると、彼らの行動原理が理解できるような気がしてくる。

さらに僕が思うのは、日本のリベラル勢力の大勢は反権力ではあるが、反中央集権ではないということだ。自民党のやり方に異を唱えるものの、国や企業経営者の責任をやたら主張する。もちろん、リベラルには政府の介入を避ける消極的自由と、政府が介入して格差の是正を図る積極的自由の両面があるが、消極的自由の方がぽっかりと抜け落ちている。アメリカの古典的な自由主義のように、この消極的自由をもっと拡充していこうという方向の議論は、日本では非常に少ないように感じる。自民党的な保守も、リベラル勢力も、どちらもパターナリズムなのだ。本書でもエーリッヒ・フロムの自由からの逃避を引用しているように、大半の人々は本音では自由を望んでいないように感じる。お仕着せのA定食・B定食くらいで十分満足なのではないだろうか。これは時代が混迷するほど、新しい形でのファシズムを呼び寄せかねない考えであり、非常に危険なものを感じる。

僕は孤独や責任を引き受けてでも自由でありたいと願っているが、それは少数派に過ぎないということが本書でよく理解できた。僕がベーシックインカムやブロックチェーンに注目しているのも、どちらも共通して政府の介入を排して個人の自由な領域を広げるものであると思っているからだ。ポスト近代において、大きな物語が消失して政治が人々の進む方向を指し示すことができなくなったのだから、できることは最低限の生存を保障しながら、個人の自由を認める方向しかないと思っている。以前にも21世紀の政治的対立は右か左かではなく、上:集権主義か下:自由主義かがまず問われるべきだと書いたが、(消極的)自由主義の見直しとその方向での政策立案が求められていると改めて思う。

著者の佐々木さんによる、どうすべきかという部分については、変化の激しい状況の中では「リアリズム」的に振る舞えということを言っていて、これは確かにそうだと思った。また、変化が進む先には「ネットワーク共同体」というものを見据えておられるが、これは前著の『レイヤー化する世界』から続く著者の世界認識なのだと思う。僕もテクノロジーによって多元的な所属のあり方が可能となりつつあり、村落共同体の息苦しさを避けながら、異なる民族・宗教・世界観を持つ人々が共存するにはそうなっていくしかないと思う。著者も指摘されるように、鈴木健著『なめらかな社会とその敵』に通じる世界観だ。

ネットワーク共同体的な世界観においては、国家が国民のすべてを包摂するということはできず、国家の役割を見直さざるを得ない。その点で日本において自由主義の伝統が弱く、右も左も国家依存から脱却できないことが今後マイナスに響いてくることを懸念している。ビットコインについても怪しいというイメージが先行し、ブロックチェーン技術の革新性に関心が向かないのも同根だと思う。ティム・オライリーが「Gov2.0」として、電子政府によって透明性を高め、市民と政府とが対話可能なプラットフォームを構築せよと言っている。僕としては、政府はプラットフォームの役割に極限まで徹するべきだと思う。ブロックチェーンは、自立・分散型の意思決定を支援するから、政府のプラットフォーム化を支える技術になると思う。政府がプラットフォームの役割に徹し、その上に様々な共同体がネットワーク的に共存するというのが、価値観の多様化する世界の今後のあり方だと思う。

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